「ハイスクール・パニック」
「二年前のことだ。そのころから、ぼくのあたまはおかしくなりはじめた・・・」
プレイサーヴィル・ハイスクールの最上級生である、ぼく(チャーリー・デッカー)は五月のある晴れた一日、教室で二人の教師を父のピストルで射殺した。あっというまのできごとだった。警官隊に包囲された、ぼくとクラスメートたちが体験する、まるで白昼夢のような、しかし緊迫した時間・・・。モダンホラーの巨匠スティーヴン・キングが高校生の不安な心の世界を鮮やかに描いた、異色の青春サスペンス小説!
「良い授業は一生のたからもの」
本作が書きはじめられたのは、キングがハイスクールの最上級生だったころ − チャーリー・デッカーと同年齢 − で、当時は "Getting It On" というタイトルで、「キャリー」が出版される2年前に、実際に出版されそうになった作品である。実際は、リチャード・バックマン名義で、1977年に出版された。
チャーリー・デッカーは知性と癇癪をあわせ持った少年である。デッカーは校庭の芝生にリスを見つけたある日、比較的大きな癇癪を起こす。知性に裏付けされていたであろう癇癪を。
教師を射殺し教室に立て篭もったデッカーは、教師や警官を論理的に愚弄し、ある生徒をクラスメイトの協力で破壊し、最終的には故意に警官に自分を射撃させる。故意にである。予定調和的な終焉を、ある意味裏切る印象的な結末である。
本作を読み返して感じたのは、これはキングによる「ライ麦畑でつかまえて」ではないか。ということである。デッカーとホールデンの奇妙な対比と相違に心が奪われる。ホールデンは、崖から落ちそうでそれに気付かない少年達を陰ながら助けることを望み、自らはある意味崩壊する。デッカーは自らの知性と癇癪で、多くの自覚しない生徒を救い、一人の生徒を破壊し、自らの崩壊を望むが、それも叶わない。
「シャイニング」では、J・アーヴィング的なアプローチがなされ、「ハイスクール・パニック」では、JD・サリンジャー的なアプローチが、そして「呪われた町」はブラム・ストーカーの文学的イミテーションであるとキングは自ら言い放つ。作家として独り立ちした頃の野心的なキングの文学への傾倒が見え隠れするような印象を受ける。
本作は、軽く目をつぶれば、非常に良く出来た小説である。「教育とは何か」「優れた教育者には何が必要か」という事柄を考えさせられる、良い小説である。全ての教育に携わる人達に読んで欲しい秀作である。
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