「主人公は僕だった」をめぐる冒険
WOWOWで「主人公は僕だった」を見た。
過去12年間、平日は毎朝76回歯を磨き、342歩でバス停へ行き、会社で平均7.134件の書類を調べ、45.7分間のランチタイムを過ごし、帰宅すると夕食は1人で済ませ、毎晩きっかり11時13分に寝る──それが、婚約者に捨てられ、友達は同僚のデイヴだけという、国税庁の会計検査官ハロルド・クリック(ウィル・フェレル)の毎日だった。
ところがその朝突然、ハロルドの人生に女性の声が割り込んできた。ナレーションのように、彼の頭に浮かんだ想いと、今まさにとっている行動を、アカデミックな言葉遣いで語り始めたのだ。
彼にしか聞こえないその声が語るのは、ハロルドが主人公の小説としか思えない。しかも何の法則性もなく、時々気まぐれに聞こえるので、物語の全容が掴めない。混乱するハロルドの耳に、とんでもないフレーズが飛び込んできた。「このささいな行為が死を招こうとは、彼は知るよしもなかった……」何だって?僕が死ぬ?
いつのまにか死に直面しているらしい自分の運命を突き止めるため、ハロルドは立ち上がった。(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督:マーク・フォースター
脚本:ザック・ヘルム
出演:ウィル・フェレル(ハロルド・クリック)、エマ・トンプソン(カレン・アイフル)、ダスティン・ホフマン(ジュールズ・ヒルバート)、クイーン・ラティファ(ペニー・エッシャー)、マギー・ギレンホール(アナ・パスカル)
本作「主人公は僕だった」は、自分の人生が人気作家によって執筆中の物語に左右されていることを知った男が、自分の人生を取り戻すために奮闘するさまを、“小説の語り手”についての考察を絡めつつ、ユーモラスかつ寓話的に綴られた作品である。
多分ここまで読んだキングファンの皆さんは、物語の登場人物が作家に会いに行く、と言うプロットから「主人公は僕だった」は、「ダーク・タワー」シリーズの影響を受けているのかな、と思うと思うのだが、わたしが思ったのはそのプロットより、作家が自らが創出した登場人物の生死に責任を負う、と言う考え方が、キングの「骨の袋」のコンセプトに似ている、と思えてならないのだ。
過去数十年にわたり、登場人物をばんばん殺してきたキングのくせに、ハリー・ポッターの生き死にに対してうだうだ言ったりする一貫性のなさを感じつつも、「骨の袋」において、いくら小説のキャラクターだと言えども、作家はその生き死にに対して責任を負う、と言うコンセプトに作家としての今後の生き様の方向性に力強いベクトルを感じたわたしだったが、その辺を考えながら、と言うか「骨の袋」を読んだ後に「主人公は僕だった」を見ると感慨も一入だと思う。
特に小説の最後の文章をタイプしようとする瞬間の作家(エマ・トンプソン)の感情の発露は大変素晴らしい。
その瞬間を体験するためだけでも良いから「主人公は僕だった」を見て欲しい、と本気で思う。
この腕時計は、「主人公は僕だった」でウィル・フェレルが着用していたモデル。作品中では非常に印象的に使用されている。
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