「ボトルネック」をめぐる冒険
今日のエントリーは、例によって、全ての事象はキングの影響を受けている的、妄想エントリー。
気になるお題は米澤穂信の「ボトルネック」。
なぜ「ボトルネック」を取り上げているか、と言うと、わたしには「ボトルネック」がスティーヴン・キングの「グリーン・マイル」の影響を受けている、と思えてならないから。
先日、東京銀座で待ち合わせがあったのだが、手持ちの本を全て読み終わってしまったため、何か本を買わなきゃな、とツイッターでつぶやいたら、日本一リチャード・マシスンにイカレてる高校生から「深夜の逃亡者」をすすめられた。しかしながら、有楽町の三省堂二階の文庫コーナーではレジ渋滞が起きてて、こりゃ待ち合わせに遅れちゃう、やむなく一階に降り、売れ筋コーナーに平積みされている本の中より、以前から気になっていた米澤穂信の「ボトルネック」を手に取った。
なぜ「ボトルネック」が気になっていたかと言うと、わかる人はわかると思うけど、米澤穂信と言う名前に個人的に親近感があったことと、表紙のイラストに関心があったから。アルフォンス・ミュシャと当時のイラストレイターのポスター展に行った際、文庫版「ボトルネック」の表紙に似たような色彩のポスターを見た記憶があったのだ。
あとはもちろん「このミステリーがすごい!2010年版 第一位」と言うことで、バカ売れしている作品だった、と言うのが大きかったと思う。
もひとつついでに、2年ほど前に金沢旅行をした際、たまたま立ち寄った書店に「金沢と東尋坊を舞台にした作品だよ」と言うようなポップが出てて印象に残っていたのもある。
「ボトルネック」
著者:米澤穂信
出版社:新潮社(新潮文庫刊)
初版:平成21年10月1日
亡くなった恋人を追悼するため東尋坊を訪れていたぼくは、何かに誘われるように断崖から墜落した……はずだった。
ところが気がつくと見慣れた金沢の街にいる。不可解な思いで自宅へ戻ったぼくを迎えたのは、見知らぬ「姉」。もしやここでは、ぼくは「生まれなかった」人
間なのか。世界のすべてと折り合えず、自分に対して臆病。そんな「若さ」の影を描き切る、青春ミステリの金字塔。
(新潮社「ボトルネック」紹介ページより引用)
さて、それでは、キングの「グリーン・マイル」はどんな物語だったのか、と言うと、強引にまとめると次のような作品だと言える。
ジョン・スタインベックの「二十日鼠と人間」をベースに、ポール・エッジコム(使徒パウロのメタファー/「二十日鼠と人間」ではジョージ・ミルトン)がジョン・コーフィ(J・C、イエス・キリストのメタファー/「二十日鼠と人間」ではレニー・スモール)の起こす奇跡を目の当たりにし、パウロ同様、目からうろこを落とし、コーフィの奇跡を後世に伝えること(伝道)を義務付けられ、結果的にポール自身が、あまりにも永いグリーン・マイル(もちろん人生のメタファー)を歩かされる破目に陥ってしまう物語である。
なお余談だが、フランク・ダラボンの映画「グリーン・マイル」では、原作で最も重要な部分が見事に抜け落ちてしまっている。
さて、「ボトルネック」だが、最後の最後までわたしが感じていたのは、話題の作品のわりには普通だな、なんだか知らないけどやたらとジュブナイル色が強いな、主人公の覇気の無さは異常だな、異世界の姉は面白がり過ぎたな、と言う印象で、ありがちなパラレルワールドを題材にしたある種のミステリーだと思っていた。
そして、その印象が一変する瞬間がやってくる。
具体的な内容はここでは説明しないが、文庫版293pからの展開が強烈である。
そう、フランク・ダラボンが描かなかった「グリーン・マイル」の本質がそこにあったのだ。
新潮文庫版「ボトルネック」の巻末に掲載されている村上貴史の解説によると、米澤穂信は1997年に本作「ボトルネック」の基となるアイディアを着想したらしい。
1997年と言えば、奇しくもキングの「グリーン・マイル」の翻訳が新潮社(新潮文庫)から6ケ月連続で出版された年でもある。
当時、米澤穂信がキングの「グリーン・マイル」を読んでいたかどうかはわからない。
しかし、もし読んでいたとして、2000年に日本公開されたフランク・ダラボンの映画「グリーン・マイル」を見て、ダラボンのバカたれ、一番大事な部分を割愛しやがって、そんならオレが書いてやる、と憤って「ボトルネック」を書いたのであれば、わたしはとっても嬉しい気持ちがする。
ところで、このブログに来る人は「グリーン・マイル」を読んでいて、映画「グリーン・マイル」を見ていると思う。
そんな人には「二十日鼠と人間」と「ボトルネック」を是非読んでいただきたいと思う次第である。
余談だけど、「ボトルネック」の金沢の街の描写は凄い。
本当に金沢の街を歩いているような気がした。
因みに先ほど話した金沢旅行の際には、2010年3月に廃止された寝台特急「北陸」を利用した。
当時の寝台特急「北陸」はガラガラだったぞ。
| 固定リンク | 0
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント