伊藤計劃もキングの影響を・・・・!?
「燃えよドラゴン」が日本公開され、ブルース・リーブームが日本を席巻していたとき、 既にブルース・リーは亡くなっていた。
あの東洋人は何者だ! 「ブラック・レイン」が全米公開されたあと、松田優作は亡く なってしまった。
昨年夏、入院していたわたしに、差し入れられた「ミレニアム1 ドラゴンタトゥーの女」。 全世界を巻き込んだ「ミレニアム」旋風が巻き起こったとき、既にスティーグ・ラーソンは亡く なっていた。
そして、わたしが「虐殺器官」を手に取ったとき、既に伊藤計劃は亡くなっていた。
非常に残念である、もっと早く伊藤計劃のことを知りたかった。
もっと早い時期から、伊藤計劃のブログや作品を読んでいたかった。読んでおくべきだった。
わたしが伊藤計劃のことを知るのが、圧倒的に遅すぎたのだ。
「虐殺器官」
伊藤計劃著、ハヤカワ文庫刊
9・11以降の、"テロとの戦い"は転機を迎えていた。先進諸国は徹底的な管理体制に移行してテロを一掃したが、後進諸国では内戦や大規模虐殺が急激に増加していた。
米軍大尉クラヴィス・シェパードは、その混乱の陰に常に存在が囁かれる謎の男、ジョン・ポールを追ってチェコへと向かう・・・・・・彼の目的とはいったいなにか? 大量殺戮を引き起こす"虐殺の器官"とは?
なぜ、伊藤計劃の「虐殺器官」なのか、とお思いの方もいらっしゃると思う。
と言うのも、当ブログ「スティーヴン・キング研究序説 ココログ分室」は、ご承知のようにスティーヴン・キングに関するエントリーをポストするブログである。
従って、当ブログには、キングに無関係のエントリーは原則的にあり得ないのだ。
と言うことは、伊藤計劃の「虐殺器官」とキングの関係を紹介しなければならない。
「虐殺器官」には、映画に関する言及が、これでもか、というほど散りばめられている。
もちろん、映画のタイトルが明記されているものもあれば、映画に登場するキャラクターの名前や、彼らの行動のみを記しているような部分もある。
伊藤計劃は生前、映画レビューをWEBで書いていたこともあり、本作の要所要所に映画の言及を差し込む事により、作品に香辛料を効かせているような印象を受ける。
そして、本作に言及される多くの映画作品の中、スティーヴン・キング原作の「キャリー」についての言及があるのだ。
該当部分を引用する。
だからぼくらは、海兵隊の長距離偵察隊(LRRP)や海軍の陸海空特殊部隊(SEAL)といった特殊作戦コマンド(SOCOM)のほかの部隊からは、蔑みとともに「濡れ仕事屋(ウェットワークス)」と呼ばれることがあった。この名前は冷戦時代から暗殺仕事をさす隠語として、ジョン・ル・カレやグレアム・グリーンの小説で使われてきた。
映画「キャリー」の有名なポスターを思い浮かべてもらえるといいかもしれない。いじめっ子たちに頭から豚の血をぶっ掛けられて立ちすくむシシー・スペイセクのかわいそうな姿。ぼくらの仕事(の一部)が濡れ仕事(ウェット・ワーク)と呼ばれているのはそういうことで、違うのはぼくらの場合、まみれているのが人の血だということ。アメリカ合衆国首狩り部隊。それが情報軍は特殊検索隊i分遣隊というわけだ。
そして、もうひとつ、内戦や大量虐殺の陰に暗躍するジョン・ポール。
彼は、「デッド・ゾーン」のジョン・スミスのメタファーではなかろうか。と言うのも、ジョン・ポールは「デッド・ゾーン」で言う所のビジョンのようなものを捉えているのだ。
いかがだろう。伊藤計劃がスティーヴン・キングの影響を受けて「虐殺器官」を書いた、と言うことに合点していただけたであろうか。
多分無理だろうね。
ここまでは、キングファンの妄想的エントリーだったのだ。
あらゆる事象や創作物はキングの影響を受けている的な。
なぜこんな話をしているかと言うと、伊藤計劃の「虐殺器官」を皆さんに読んでいただきたいから、なのだ。
わたしが「虐殺器官」を読んで驚いたのは、日本の作家の日本のSF小説なのに登場人物がアメリカ人だったりする点だった。
日本を舞台にした物語だと思い込んで読み始めたわたしの目に飛び込んできたのは「ワシントンの州法で」という文字。なんじゃこりゃ。
わたしの思考は一瞬止まってしまった。これは翻訳物か?
物語が始まると、主人公が暗殺部隊:特殊検索隊i分遣隊の軍人だということがわかってくる。わたしには伊藤計劃がゲームデザイナー小島秀夫のゲームの大ファンだと言う知識はあったので、あぁ、「メタルギアソリッド」シリーズの影響下にある作品なのだな、と思い始めるわたし。
ナノマシーンやバイオテクノロジーの超絶な技術が実戦に投入されている時代の戦争。
そうこうしているうちに、物語は「メタルギアソリッド」シリーズからジョン・ル・カレの「寒い国から帰ってきたスパイ」の様相を呈してくる。
ル・カレ好きなわたしは、その辺りから正座して本書に対峙している。
そして、物語は「寒い国から帰ってきたスパイ」を経て、「虐殺器官」の「虐殺器官」たる所以に踏み込んでくる。
哲学と科学、そしてその可能性の広大な原野に解き放たれた「虐殺器官」理論は圧倒的であり、そして非常に興味深い。特に映画ファンとしてはね。
趣向をそぐので詳細は割愛するが、非常に面白いプロットやシークエンスが続々と展開するのだ。
あと興味深かったのは、主人公であるシェパード大尉なのだが、米軍の暗殺部隊に属しているのにも関わらず、村上春樹の小説に登場する「ぼく」なみに繊細でナイーブなキャラクターとして設定され描かれている。
このギャップとシェパードのラストの選択がなんとも素晴らしい。
「1Q84」の天吾と青豆を足して2で割ったようなキャラクターと言えば理解できるだろうか。
余談だけど、おそらく村上春樹の「1Q84 BOOK 3」は、天吾による、「虐殺器官」のシェパード大尉の選択のような、選択を描く物語になると思う。
更に余談だけど、わたしはキャラクターとして考えると、ジョン・ポールを映画「ダブルボーダー」のマイケル・アイアンサイドで読んでた。
まあ、今日のエントリーは、後半はぐだぐだになってしまったが、とにかく「虐殺器官」は、翻訳物ばかり読んでいるような人にも是非とも読んでいただきたい素晴らしい日本の作品である、と思う次第である。
騙されたと思って読んでみて下さい。
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