〈イーヴル・ニーヴル・コース〉をめぐる冒険
さて、本日のエントリーは、ジョー・ヒルの「ホーンズ 角」に登場する〈イーヴル・ニーヴル・コース〉に関する余談。
「ホーンズ 角」
著者:ジョー・ヒル
翻訳:白石朗
装画:ヴィンセント・チョン
出版社:小学館(小学館文庫)
さて早速だが、「ホーンズ 角」に〈イーヴル・ニーヴル・コース〉が初めて登場するのは第一部《地獄》。イグが祖母の車椅子が坂を転がり落ちていくところを見て、かつて自分が〈イーヴル・ニーヴル・コース〉をショッピングカートに乗って下ったことを思い出すシーン。
祖母は肩から頭をもちあげ、すぐ肩にもどし、またもちあげて、弱々しく身をよじっていた。車椅子はきれいに刈りこまれた緑の芝生の上を転がっていく。片側の車輪が岩にぶつかり、大きく跳ねて岩を越え、さらに先へと進んでいく。イグは十五歳のときのことを〈イーヴル・ニーヴル・コース〉をショッピングカートでくだった日のことを思った。あれはまちがいなく、人生の転換点の一日だった。あのときも、これほどのスピードが出ていたのだろうか? (p111より引用)
これを読んだ時点で〈イーヴル・ニーヴル・コース〉と言う表現に違和感があった。これは〈イーヴル・クニーヴル・コース〉の間違いではないのか、と。
そして、同時に〈イーヴル・ニーヴル・コース〉とはどうやら坂のことで、以前イグがショッピングカートに乗って下ったことがあることがわかり、その出来事が彼の人生の中で大きな転換点となったこともわかる。
更に、おそらくだが、イグの少年時代、イグら少年たちが〈イーヴル・ニーヴル・コース〉と呼ぶならわす急な下り坂があり、当時の少年たちは、マウンテンバンクやスケートボードのような様々な乗物で坂を下ることにより、自らの度胸と力量を仲間たちに示していたことが推測できる。
そして、そう考えた場合、その坂の名前〈イーヴル・ニーヴル・コース〉は、どう考えても1970年代後半に活躍したアメリカの超有名なスタントライダーであるイーヴル・クニーヴル(Evel Knievel)の名前からとられているのではないか。とするとやはり正しくは〈イーヴル・クニーヴル・コース〉なのではないか、と。
1970年代後半には、日本国内でもイーヴル・クニーヴルが紹介され、ずらっと並べた自動車やトラックやバス、はたまた寝転んだ多くの人々の上や、橋がかかっていない峡谷をバイクで飛び越える様が水曜スペシャル等で放送されていたり、イーヴル・クニーヴルの名前がついたおもちゃが販売されたりしていた。
当時のイーヴル・クニーヴルは少年たちのヒーローだったのだ。
続く第二部《チェリーの木》に〈イーヴル・ニーヴル・コース〉の描写がある。イグがショッピングカートで〈イーヴル・ニーヴル・コース〉を下る直前の描写である。
ふたりはほっそりとした体格のブロンドの少年----名前はどうやらリー・トゥルノー----に近づいていき、〈イーヴル・ニーヴル・コース〉の出発点に近づくと、ふたたび歩調を落とした。その先で丘は急斜面の下り坂で、川にむかっている。その川が、松の木の黒々とした幹のあいだに濃紺のきらめきとなってのぞいていた。ここはかつて未舗装路だったが、車でここから川まで下る人間がいたとは想像できない。勾配が急で路面が抉れ、転覆事故を起こすにはうってつけの目のまわりそうな下り坂なのだ。この下り坂のコースには、錆ついて半分埋もれた二本の鉄パイプがのぞいていた。パイプにはさまれた部分は、人の往来で土が固くなめらかに突き固められた窪みになっていた。これまでに一千台ものマウンテンバイクや一万本もの裸足が通ったことで固められ、つるつるに磨きあげられた窪み。(p134より引用)
この〈イーヴル・ニーヴル・コース〉は、「ホーンズ 角」にとって非常に重要な舞台のひとつであり、本編中、何度もなんども登場する。
そんな中、2012年7月21日に「ホーンズ 角」の読書会、題して『「ホーンズ 角」円卓会議』が開催されることになった。
わたしは「ホーンズ 角」の原書を持っていなかったので、〈イーヴル・ニーヴル・コース〉が原書でどのように表現されているのかわからなかったのだが、『「ホーンズ 角」円卓会議』参加者の@yoshida222320さんが、きっと持って来てくれると信じていた。
読書会の度に膨大な関連資料を会場に持ち込む@yoshida222320さんは、『「ホーンズ 角」円卓会議』には、US普及版ハードカバーの「HORNS」と、UK版限定500部サイン入り箱入りハードカバー「HORNS」、そして検索し易いキンドル版「HORNS」を会場に持ち込んでいた。
わたしはすぐに@yoshida222320さんに原書を借りて、〈イーヴル・ニーヴル・コース〉を調べた。
その時点の可能性としては、1. ジョー・ヒルが間違っている可能性、2. ジョー・ヒルがわざと間違えている可能性、3. 翻訳の白石朗さんが間違えている可能性、4. わたしが勘違いをしている可能性が考えられた。
そして原書には、Evel Knievel と表記されていた。
おや、白石さん、間違えちゃったかな。
わたしは鬼の首を取ったような気分だった。
しかし、その数秒後、数秒後だよ、日本では以前はイーヴル・クニーヴルと呼ばれていたが、最近はイーヴル・ニーヴルと呼ばれている、と言う情報が!
そして、アメリカでは、KnievelのKがサイレントでニーヴルと呼ばれているのではないか、と言う情報も!
あわわわわ、白石さんごめんなさい。
どうやらわたしの勘違いだったようです。
でも、1970年代以降、わたしの中では、と言うか当時の少年たちの間では、彼はイーヴル・クニーヴルだったんです。
きっと、翻訳の際、〈イーヴル・ニーヴル・コース〉について、白石さんと編集の人との間で、いろんなやりとりがあったんだろうな、と想像します。
そうして、翻訳家と編集者の様々なやりとりの結果、より良い翻訳作品が生まれてくるんでしょうね。
※ 実際には、Evel Knievelはドイツ系の名前で、Kは実際は発音するようです。しかしアメリカではKを発音したりしなかったりしているようですが、日本ではイーヴル・クニーヴルと言う表記からイーヴル・ニーヴルと言う表記に変わっているようです。
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