「カールじいさんと空飛ぶ家」をめぐる冒険
今日は、例によってキングファンによる全ての事象はスティーヴン・キングの影響を受けている、と言う妄想的エントリー。
先ずは、先日のエントリー『「タッチ」と「骨の袋」をめぐる冒険』を見ていただきたい。
2010/01/01 東京有楽町TOHOシネマズ日劇で「カールじいさんと空飛ぶ家」を観た。
「カールじいさんと空飛ぶ家」
監督:ピート・ドクター
脚本:ボブ・ピーターソン、ピート・ドクター
声の出演:エドワード・アズナー(カール・フレドリクセン)、ジョーダン・ナガイ(ラッセル)、ボブ・ピーターソン(ダグ/アルファ)、クリストファー・プラマー(チャールズ・マンツ)
古いけれど手入れの行き届いた一軒家に暮らす老人カール・フレドリクセン(エドワード・アズナー)。
開発の波が押し寄せる中、頑なに家を守り抜いてきた。そこは、いまは亡き最愛の妻エリーとの素敵な思い出に満たされた、かけがえのない場所だった。
しかし、ついにカールは家を立ち退き、施設に入らなければならなくなる。そして迎えた立ち退きの日の朝、なんとカールは無数の風船を使って家ごと大空へと舞いあがるのだった。それは、エリーと約束した伝説の場所“パラダイス・フォール”への大冒険の始まり。ところがその時、少年ラッセル(ジョーダン・ナガイ)が空飛ぶ家の玄関に。驚いたカールは渋々ながらもラッセルを招き入れ、一緒に旅をするハメになるのだが・・・・。
さて、本作「カールじいさんと空飛ぶ家」についてだが、娯楽作品としては面白いのだが、冒頭のカールとエリーの過去から現在までを描いたシークエンスを伏線として考えると、その重要な伏線が消化しきれていない、残念な作品と言わざるを得ない。
作品の構成を考えた場合、冒頭のシークエンスが何故必要か、と言うと、観客にカールとエリーの人生を最体験させることにより、観客の心の中にカールとエリーの人生の思い出を再構築させるために他ならない。
何故そんなことをするかと言うと、これから語る物語において、カールとエリーの人生が大きな影響を与えるからに他ならないのだ。
しかしながら、本作の脚本では、それが上手く機能していない。非常に残念である。
脚本で興味深いのは、主人公が旅立つ際、主人公を引き止める存在である「家」と一緒に旅立ってしまう点である。これは非常に斬新である。
この辺りについてはジョゼフ・キャンベルの「千の顔を持つ英雄」に詳しいので、そちらを参照いただきたい。(ジョージ・ルーカスは「千の顔を持つ英雄」を参考にして「スター・ウォーズ」の脚本を書き、「2001年宇宙の旅」の脚本を検討している頃、スタンリー・キューブリックがアーサー・C・クラークに同書を贈っている)
前述の冒頭のシークエンスの伏線が云々についてを除くと、本作「カールじいさんと空飛ぶ家」は大変素晴らしい娯楽作品に仕上がっている。
普通に面白いし、演出も良いし、その効果も高い。
当然冒険物語としても、成長物語としても充分に楽しい。
バージョンとしては、2D版、3D版があるが、「アバター」と違い3Dを前提にして制作された作品ではないので、2D版でも3D版でもそんなに印象は変わらない。
さて、ここからが本題、キングファンの妄想のコーナー。
あらゆる事象はスティーヴン・キングの影響を受けており、「カールじいさんの空飛ぶ家」も例外ではないのだ。
沢山の風船でふわふわ浮かぶ、と言うのは正しく「イット(IT)」です。
風船もギシギシ言ってますし、チャールズ・マンツ(クリストファー・プラマー)は多分ペニーワイズにやられたんだと思う。絵的にも演出的にもそんな感じでしたね。
勿論、本作「カールじいさんの空飛ぶ家」の原題「UP」と「IT」の共通点も感じられますね。
あと、冒頭、再開発のあおりを受け、カールじいさんの家は立ち退きを迫られており、カールじいさんは、なんと暴力で再開発業者を一度は撃退するのですが、これは「最後の抵抗」のプロットの影響だと思われます。
実際には、カールとエリーの過去のシークエンスを見ると、プロット的にはバージニア・リー・バートンの「ちいさいおうち」の影響を受けていると思いますが・・・・。
従って、キングファンとしては、本作「カールじいさんと空飛ぶ家」は、「イット(IT)」と「最後の抵抗」を受けている、と言わざるを得ないのだな。
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