2011年2月6日にシネマトゥディが伝えるところによると、1970年代(1975〜1977年頃)にワーナー・ブラザーズがスティーヴン・キングの「呪われた町」を映画化する企画を立ち上げた際、トピー・フーパーの前にピーター・ウィアーが監督としてオファーされていた模様。
『刑事ジョン・ブック』『トゥルーマン・ショー』の名匠監督ピーター・ウィアー、名作が生まれるまでの道のり明かす
記録のため、該当部分を引用する。
いったんテレビ業界で働いたピーター監督は映画界に入り、映画『ピクニックatハンギング・ロック』で世界中から高い評価を受けた。だが次回作となった映画『ザ・ラスト・ウェーブ (原題)/ The Last
Wave』(1977製作)の製作の前に、なんとスタンリー・キューブリック監督からある提案を受けていたそうだ。「当時、僕とジム・マッケルロイ(ピーター監督の初期作品をプロデュースしていた人物)が、次回作の資金繰りのためにロサンゼルスにいたときに、ワーナー・ブラザーズの重役との会合でスティーヴン・キングの作品『呪われた町』の監督をしないかと勧められたんだ。さらにその重役から、『これはスタンリー・キューブリック監督が君に監督するように
と提案してきたんだ!』と言われたんだよ」と語った。それまで立ってこの話を聞いていたピーター監督は、座らなければ落ち着かないほどだったらしい。いっ
たん製作を引き受けたピーター監督は「それからシャトー・マーモント・ホテルで1か月もの間、この『呪われた町』の制作を進めていたが、どうしても自分に
はこの作品の監督が合わない、製作することも不快であるからとして降板してしまったんだ」と尊敬するキューブリックの提案を台無しにしてしまったそうだ
が、その選択には後悔しなかったようで「当時、まだアメリカのシステムに慣れていなかったとも思うんだ」と明かした。
とことろで、当時のピーター・ウィアーとスタンリー・キューブリック、トビー・フーパーのフィルモグラフィは次の通り。
ピーター・ウィアー
1975年「ピクニックatハンギング・ロック」監督
1977年「ザ・ラスト・ピクニック」監督・脚本
スタンリー・キューブリック
1971年「時計じかけのオレンジ」監督・脚本・製作
1975年「バリー・リンドン」監督・脚本・製作
1980年「シャイニング」監督・脚本・製作
トビー・フーパー
1974年「悪魔のいけにえ」監督・脚本・製作・音楽
1976年「悪魔の沼」監督・脚本・音楽
1979年「死霊伝説」監督
因みにスティーヴン・キングの初期作品の出版年は次の通り。
1974年「キャリー」
1975年「呪われた町」
1977年「シャイニング」
と言う事は、ピーター・ウィアーのインタビュー記事を読む限り、キューブリックは1975年の「呪われた町」出版時点でキングの作品に関心を持っていた、と言う事になる。
すると、キューブリックが「シャイニング」を映画化する際、キングの「シャイニング」と出会った際の伝説との齟齬が出て来ちゃうな、と思ったりもする。
以下、件の伝説。
映画制作前のキューブリックの秘書は、本を壁に投げつける音に脅かされていたそうである。キューブリックは映画の原作になりそうなホラー小説を何10冊も
読んでいたのである。大抵の本は40ページ位読まれ、壁に投げつけられたようである。静かになった部屋を気にして、心臓発作でも起こしたのではないかと思
い、部屋に入った秘書が見つけたのは、ご満悦で「シャイニング」の出版前の原稿を読むキューブリックの姿だった。秘書は、その後「シャイニング」の映画化
権がどこにあり、譲ってもらえるかどうかワーナーに問い合わせた。偶々権利を獲得していたワーナーは諸手を挙げてキューブリックを歓迎した。
どうだろう。
ちょっと齟齬を感じるよね。
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