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2012年12月25日

「ディミター」講義 第五講

ここ最近、ウィリアム・ピーター・ブラッティの「ディミター」を読んでいる。
「エクソシスト」で有名なブラッティのミステリーである。

「ディミター」
著者:ウィリアム・ピーター・ブラッティ
訳者:白石朗
出版社:東京創元社(創元推理文庫)
あらすじ:1973年、宗教弾圧と鎖国政策下の無神国家アルバニアで、正体不明の人物が勾留された。男は苛烈な拷問に屈することなく、驚くべき能力で官憲を 出し抜き行方を晦ました。翌年、聖地エルサレムの医師メイヨーと警官メラルの周辺で、不審な事件や〈奇跡〉が続けて起きる。謎が謎を呼び事態が錯綜する中 で浮かび上がる異形の真相とは。『エクソシスト』の鬼才による入魂の傑作ミステリ!

わたしは真面目に読書をするような場合、読書メモを取りながら読むことが多い。

今日は「ディミター」の読書メモから「ディミター」を読み解くヒントになりそうな部分を紹介していきたいと考えている。

今日は《第一部 アルバニア 一九七三年》を中心にするが、わたしの読書メモは多岐に及んでいるので、全てを紹介することはできない。「ディミター」を考える上で、重要だと思う部分を中心に紹介して行きたいと思う。

p8 ピートの思い出に。

聞くところによると、ウィリアム・ピーター・ブラッティは、2006年に当時19歳の三男を亡くしているらしい。そう、本書「ディミター」は、ブラッティの亡き三男《ピートの思い出》に捧げられている、と考えられる。

そう考えた場合、本書にもし息子を亡くす人物が登場するとしたら、その人物はブラッティ自身が投影されたキャラクターだと推測することができる。

そしておそらくはその人物は物語にとって非常に重要なキャラクターであるはずで、もしそうならば、現実世界でブラッティがピートにしてあげられなかった〈何か〉をするキャラクターとして、その人物が設定されている可能性が高いとわたしは考えている。

p12 ……旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした……三日間、目が見えず…… 『使徒言行録』九章三節〜九節

これは先日のエントリー【「ディミター」講義 第四講】で紹介したように「新約聖書」《パウロの回心》の抜粋である。

しかしこれは非常に大雑把な抜粋だと言わざるを得ない。わかる人にはわかるが、わからない人には全くわからないだろう。

折角なので「口語 新約聖書」から該当部分(「使徒言行録」九章三節〜九節)を引用する。

3ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。4彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。5そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。6さあ立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう」。7サウロの同行者たちは物も言えずに立っていて、声だけは聞えたが、だれも見えなかった。8サウロは地から起き上がって目を開いてみたが、何も見えなかった。そこで人々は、彼の手を引いてダマスコへ連れて行った。9彼は三日間、目が見えず、また食べることも飲むこともしなかった。

ついでなので、本書「ディミター」のp365《パウロの回心》に関連する部分を引用する。

けっこう。きみたちの聖パウロにも関係した話だよ。聖パウロはもともとわれわれの仲間のユダヤ教徒でサウルといい、ディミター同様に伝説的な暗殺者だった。キリスト教徒を追っては、無慈悲に殺していたんだ。そしてある日、仲間たちともどもダマスコのキリスト教徒たちを殲滅するべくその地にむかっている途中、神秘体験をした。なにものかの力によってーー天空の白くまばゆい光によってーー馬から地面に突き落とされ、そして声を耳にした。それからまもなく、サウルはきみたちの聖パウロになった。ディミターにも、おなじようなことが起こったんだ。ディミターは自分の神秘体験に衝撃をうけたーーイエス・キリストに関係した神秘体験だった。またサウルと同様、最初は自分の身になにが見舞ったのかも理解できなかった。しかしディミターなら、なにをすると思う? 決まってるとも! あの男は、自分を地面に打ち倒した力の正体をつきとめるために、エルサレムに来たんだよ。いや、人々は馬から突き落とされたと考えているようだが。

《パウロの回心》は様々な作品で言及される有名なエピソードなので、関心がある方は是非《パウロの回心》を検索していただきたい。

p13 太陽から遠く一億五千万キロメートル離れ、恩寵や希望の指先が決して触れえぬあまたの部屋と監房と通路が織りなす迷宮のなか、窓のひとつもない湿気のこもるコンクリート打ちはなしの部屋で、いま〈尋問者〉は目の前のノートのように空白の頭のまま、堅い木のテーブルを背にしてすわっていた。

これは本書「ディミター」冒頭の一節である。

おそらく、誰もが想像しているように、宗教的な物語になるであろう「ディミター」は、太陽と地球の距離の科学的事実の描写から始まっている。

これは何かおかしい。

もしかしたら、ここから感じとれるのは、本書に登場するであろう、宗教的な、奇跡的な、スーパーナチュラル的な、出来事やその描写の全ては、物理的な出来事で、全て科学的な解釈が可能である、と言う事を宣言しているのではないだろうか。

もしかして本書は、宗教と科学との対峙を描いているのだろうか。そんな印象を受ける一節である。

しかも、本書は、宗教と比較して科学よりのスタンスを保っているような印象を受ける。

p15 この男をとらえたのは偶然だった。九月二十五日の月曜日、北部山岳地帯にあるスパック村の近郊では、警察隊や警察犬、それに民兵たちが出動、公安警察長メフメト・シェフ暗殺未遂事件の容疑者の捜索がおこなわれていた。

p39 十月一日の日曜日の朝から翌日の正午少し前まで、女性の公安警察官による暴行と尋問を交互に受けさせられた。

月曜日から始まったことが日曜日に一旦終わる。
これは「旧約聖書」《創世記》の暗喩だと思えてならない。

p36 神を見たことがあるか、見たことがあるのなら、目が見えなくなったのは神を見たことが原因だったのか、ってね。

これも《パウロの回心》のことだろう。

復活したイエス・キリストの光を見て失明したパウロは、後日アナニアの祈りにより、目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになる。

p40 〈尋問者〉は、乾いた血のレース模様がとりまく〈虜囚〉のひたいを見つめた。あれに自分はなにを連想したのだろう? そう思うそばから思い出したーー〈沈黙のキリスト〉だ。

この時点で〈虜囚〉はイエス・キリストの暗喩であることが印象付けられる。

オディロン・ルドンの〈沈黙のキリスト〉
オディロン・ルドンの〈沈黙のキリスト〉

p65 「ビッグバン以前にはーー」神父は雑居房の面々に説教をはじめた「全宇宙は大きさのない、それでいて無限の重さをもつ一点にすぎなかった。その点が大爆発して宇宙が生まれ、宇宙のなかに時間とその双生児たる混沌が生まれた。とはいえ大宇宙が出現するにあたっては、最初期に外へ外へとむかっていく爆発の力には、重力に拮抗することが必要とされた。それも、百三十億光年の彼方の大宇宙の反対側にある、直径二センチ半ほどの小さな標的を銃で撃ち抜くのにも匹敵するほどの正確さでね」

これもおかしい。

聖職者の言葉とは思えないのだ。

尤も、p68でこの神父は「しょせんわたしは、年寄りの反動的聖職者だ。」と自嘲していることから考えると、この神父は宗教心を失い科学に転んでしまった聖職者、と言うことなのだろうか。

宗教と科学との対峙がここでも描かれている。

p69 神父はふたたび顔を伏せた「ラザヤ・シャントヤ神父、文学者として高名だった神父となると、またべつの話だ」

以降、p74にかけて、シャントヤ神父と自分の〈ヨブ記〉でヨブが体験したことにも匹敵するような物語が語られる。

結構なページを割いて語られる、その意味は。

p76 「そうです。かなり強い力で殴られたあと、わたしは激しい頭痛に襲われました。それが常態になったのです。振り払えませんでした。そしてあの男がわたしのひたいに手をあてると、痛みが消えたのです」
つかのまヴロラの目が空白になった。ついで唇の両端が愚弄の笑みに吊りあがる。
「いまもまだ、魔法を信じているのかね?」吐き捨てるように神父にいう。

ここの前半部分、〈虜囚〉が神父の頭痛を取り除く《奇跡》の部分は、《パウロの回心》におけるパウロとアナニアの暗喩だと考えられる。

そして非常に興味深いのは、ヴロラは〈奇跡〉を〈魔法〉だと断じている点。

これは超重要。

長くなってきたので、今日はここまで。

「ディミター」講義 第一講
「ディミター」講義 第二講

「ディミター」講義 第三講

「ディミター」講義 第四講

そんな「ディミター」は2013年1月26日(土)開催予定のネタバレ円卓会議【ディミター】のお題になっています。

@tkr2000
@honyakmonsky

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