ちょっと昔、2009年頃の話。
カート・ヴォネガット・ジュニアの「タイタンの妖女」の改訳・新装版が出ていたので読んでみた。
「タイタンの妖女」
■著者:カート・ヴォネガット・ジュニア
■翻訳:浅倉久志
■出版:早川書房(ハヤカワ文庫SF)
■あらすじ:時空を超えたあらゆる時と場所に波動現象として存在する、ウィンストン・ナイルズ・ラムファードは、神のような力を使って、さまざまな計画を実行し、人類を導いていた。その計画で操られる最大の受難者が、全米一の大富豪マラカイ・コンスタントだった。
富も記憶も奪われ、地球から火星、水星へと太陽系を流浪させられるコンスタントの行く末と、人類の究極の運命とは?
巨匠がシニカルかつユーモラスに描いた感動作。(同書裏表紙より引用)
多分、最初に「タイタンの妖女」("The Sirens of Titan")を読んだのは中学生くらいの頃だったと思う。今回再読してみて感じたのは、年をとってからの再読は、非常に有意義だったな、と言うこと。
ところで、いきなり余談で恐縮だが、今回の改訳・新装版は爆笑問題の太田光が「タイタンの妖女」が大好きで大好きで仕方がないところから始まっているようで、帯はもちろん、あとがきも太田光の手によるものである。
更に爆笑問題が所属する芸能プロダクション「タイタン」の名称も当然ながら「タイタンの妖女」から取られている訳だから、「タイタン」の女社長である太田光代こそが、「タイタンの妖女」その人に他ならない、と言うことになる。
つまり、セイレーンたる太田光代が爆笑問題をはじめとしたタレントたちを操っている訳である。
本作「タイタンの妖女」で件の妖女(セイレーン/サイレン)が登場人物にどのような影響を与え、どのように登場するかは、本書を読んでいただくとして、「タイタンの妖女」がどんな物語なのかを内容に触れずに考えて行きたいと思う。
と言うか、本書「タイタンの妖女」は読者にどのような影響を与えてしまうのか、と言うことを考えてみたい。
本書「タイタンの妖女」の根底に流れているのは、自分の人生は他の存在が運命付けたものである、と言うことと、自らの選択や行動が他の存在に大きな影響を与えている、と言う相反するモノである。
一方では、個人や種の運命は他の存在が自分勝手に決めたもので、抗うことが出来ない、いわば予定調和的な存在であると言いながら、他方では、個人の選択や行動、何かをする、またはしないという選択や行動によって、他の存在に大きな影響を与えている、と言うことを描いている。
物語の中で起きている大きな出来事、つまり基本プロットは、あきれるほどに無常で運命的で予定調和的なのだが、それは逆説的に言うと、自分が何かをすることで何かが出来る、何かを変えることができる、自分の運命どころか、国や世界を変えることができる、と言う事を表現しているように思える。
理想を現実に変える力を感じてしまうのだ。
もう放送は終わってしまったが、「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」なんかを見ていると、太田光の理想家振りを垣間みる事が出来る。
これこそ「タイタンの妖女」の影響なのではないか、と思えてならない。
本書「タイタンの妖女」の翻訳は、2010年2月14日に亡くなった浅倉久志氏。
本書巻末には、前述の太田光の解説「『タイタンの妖女』について」と、浅倉久志による「訳者あとがき」、「新装版の刊行に寄せて」が掲載されている。
@tkr2000
@honyakmonsky
最近のコメント