2012年8月10日 東京池袋〈サンシャイン劇場〉で、キャラメルボックス2012サマーツアー「アルジャーノンに花束を」(アクア)を観た。

「アルジャーノンに花束を」(アクア) 多田直人(チャーリイ)と渡邊安理(キニアン先生)
「アルジャーノンに花束を」
原作:ダニエル・キイス
翻訳:小尾芙佐
脚本・演出:成井豊+真柴あずき
出演:阿部丈二(イグニス)、岡内美喜子(イグニス)、多田直人(アクア)、渡邊安理(アクア)、坂口理恵、大内厚雄、畑中智行、三浦剛、筒井俊作、左東広之、鍛冶本大樹、林貴子、市川草太、小林春世、笹川亜矢奈、鈴木秀明 (イグニス、アクアはダブルキャストの区分)
あらすじ:パン屋で働くチャーリイ・ゴードンは、今年で32歳になるが、幼児なみの知能しかない。が、心の底から賢くなりたいと思っていて、知的障害成人センターに通い、読み書きや計算を習っている。ある日、チャーリイはビークマン大学へ行き、心理学のテストを受ける。そのテストに合格すれば、頭がよくなる手術が受けられる。実験室にいたハツカネズミのアルジャーノンは、その手術のおかげで、複雑な迷路をあっという間に通り抜けられるようになった。僕もアルジャーノンみたいに賢くなりたい! テストの結果は合格。チャーリイは手術を受けることになるが……。(オフィシャルサイトより引用)
■東京公演
日程:7月21日(土)〜8月12日(日)
会場:サンシャイン劇場
■神戸公演
日程:8月16日(木)〜24日(金)
会場:新神戸オリエンタル劇場
ダニエル・キイスの「アルジャーノンに花束を」と言う作品に何らかの思い入れがある人は多いだろう。
かく言うわたしも「アルジャーノンに花束を」にはいろいろな思い入れがある。
無論泣ければ良い、泣ける作品は良い作品だ、と言う話ではないのだが、わたしの読書人生の中で、あぁ人間ってこんなに涙が出るんだな、と思えた作品が3作品あるのだが、この「アルジャーノンに花束を」はわたしにとってそんな作品の1つである。
そんな大好きな作品が演劇集団キャラメルボックスによって舞台化されるのだ。
さて、今回のキャラメルボックス2012サマーツアー「アルジャーノンに花束を」は、チャーリイ・ゴードンとアリス・キニアンのキャストは、イグニスとアクアと言うダブルキャストになっている。
イグニス:阿部丈二(チャーリイ・ゴードン)、岡内美喜子(アリス・キニアン)
アクア:多田直人(チャーリイ・ゴードン)、渡邊安理(アリス・キニアン)
どちらを観るべきか。
悩んだわたしだったが、2012年5月に観たキャラメルボックスの「無伴奏ソナタ」でクリスチャン・ハラルドスンを演じた多田直人があまりにも素晴らしかったで、わたしはアクアのチケットをおさえることにした。
正直なところ、時間があればイグニスも観たかったんだけどね。
さて、ここからが今日の本題。
舞台「アルジャーノンに花束を」の物語は基本的に原作小説そのままであった。
そして驚くべき事に、チャーリイの経過報告が、舞台上で表現されるのだ。
そのチャーリイの経過報告は、ステージ上に字幕として投影されたり、他の出演者が次々と、しかも矢継早に朗読するスタイルで見事に表現されていた。
チャーリイやキニアン先生の演技に、ストラウス博士やニーマー教授による経過報告の朗読がかぶせられる。
これは何とも一定時間あたりの密度が高い演出手法であり、しかも、チャーリイを手術し、指導するストラウス博士やニーマン教授がチャーリイの経過報告を読む、と言うメタ構造を持つ舞台演出となっていた。
しかも、彼らは句読点や促音がないチャーリイの経過報告をそのまま朗読していた。これは素晴らしい。
わたしたち観客はチャーリイの経過報告を、つまりチャーリイの成長過程、と言うかチャーリイの人生をそのまま感じ取ることができるのだ。
ところで、この物語自体の優れているところは、知的障害者であるチャーリイが天才になり、そしてまた知的障害者に戻る、と言う点である。
世の中には、障害者が登場する物語は沢山あるが、その物語のほとんどは、障害者が置かれている環境にほとんど変化がないため、わたしたちのような観客や読者と障害者との間で一定の関係を保ち続ける。
つまり、観客や読者はその障害者を、常に上からの視線で眺める構成になっているのだ。
しかし「アルジャーノンに花束を」では、知的障害者であるチャーリイがわたしたちの知性をはるかに凌駕し、一時は世界有数の、おそらくは世界一の知的存在に上り詰め、そして再び幼児なみの知性に戻ってしまう。
これにより、わたしたち観客は、知的障害者を差別し嫌がらせをする、または同情する存在から、超天才に蔑まされる存在、逆に天才を羨む存在を経過し、再び知的障害者を蔑み同情する存在となり、その経験から、自らの本当の人生を悔改めることになるのだ。
この圧倒的なカタルシス。
わたしたちの流す涙は、浄化の涙であるとともに、懺悔の涙であり、決して同情の涙ではないのだ。
「アルジャーノンに花束を」(アクア) 多田直人(チャーリイ)と渡邊安理(アリス)
キャストはなんと言ってもチャーリイ・ゴードンを演じた多田直人が素晴らしかった。
知的障害者の演技には、ややステレオタイプ的な印象があった事は否定できないが、知的障害者から超天才までの成長、そして再び知的障害者に戻ってしまう姿を見事に演じていた。
舞台前半から中盤までのわたしは、おそらく多くの観客同様、チャーリイを演じる多田直人に目を奪われていたのだが、中盤以降はキニアン先生を演じる渡邊安理に視線は釘付けである。
チャーリイの知性の高まりと比例するように、序盤は凡庸な役者にしか見えなかった渡邊安理がどんどん魅力的になって行く。
今回の舞台で一番凄かったのは、もしかしたら渡邊安理だったのかも知れない。
そんな多田直人と渡邊安理の演技合戦、ささくれ立ったむき出しの感情同士がぶつかり合う素晴らしい体験だった。
そして、特筆すべき事として、このキニアン先生(渡邊安理)のキャラクターは、「アルジャーノンに花束を」と言う物語の中で、チャーリイの大きな変化にも、全くぶれないキャラクターとして設定されている。
このキニアン先生の生き方は素晴らしい生き方であり、こう生きたい、こう言う人物になりたい、と言う人生の指標にもなり得る生き方であろう。
それと同時に、ニーマー教授(大内厚雄)の凋落振りが見事である。
天才だったはずのニーマー教授がわたしたちと同じただの凡庸な人間になってしまう。その強烈な劣等感の中で、孤高な精神を保とうとするニーマー教授の姿が哀愁を誘う。
ニーマー教授と比較すると、チャーリイ寄りのキャラクターであるストラウス博士(左東広之)とバート(畑中智行)は、観客の1つの視点を代弁するキャラクターとして設定されており、チャーリイに知性を追い抜かれることをニーマー博士と比較すると平然と受け入れている。
このあたりを考えると「アルジャーノンに花束を」と言う物語は、三者三様の、と言うか多種多様のキャラクターそれぞれに感情移入が可能な物語構造を持っているのだ。
もちろんチャーリイに、そしてキニアン先生に、はたまたニーマー教授に、ストラウス博士に、バートに、パン屋の親方に、そしてパン屋の仲間たちに、チャーリイの両親に。
あなたは誰に感情移入するのだろうか。
そして、チャーリイの変化に感化されるパン屋の仲間たち。
一度は拒絶するが後にチャーリイを受け入れ、チャーリィの庇護者になる仲間たち。
おそらくこのパン屋の仲間たちの変化が物語の中で、と言うか観客の、普段の自分たちの生活に重なり、そして心に刺さる重要な変化なのだろう。
もし、「アルジャーノンに花束を」を子どもの頃に読んでいたら、いじめなんかなくなるんじゃないかな、と本気で考えてしまう。
@tkr2000
@honyakmonsky
余談だが、ダニエル・キイスの「アルジャーノンに花束を」は、長篇と、その長篇の元になった短篇がある。短篇版「アルジャーノンに花束を」は「心の鏡」に収録されている。
ところで、「アルジャーノンに花束を」を観にくるような客は、どうせ泣くために来ているんだろうと思うし、事実わたしもそんな有様だった。
苦しくて苦しくて嗚咽するわたしは、身体が震えに震え、隣の人にその震えが伝わるようなレベル。
こんな時期、脱水症状に気を付けなければならないほど水分が外に出たよ。
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