「クトゥルフ神話への招待」をめぐる冒険
先日のエントリー『「クトゥルフ神話への招待」と「影が行く」』と『「遊星からの物体X ファーストコンタクト」をめぐる冒険』でお伝えしたように、映画「遊星からの物体X」(1982)の前日譚、つまり〈エピソード0〉にあたる「遊星からの物体X ファーストコンタクト」(2011)が公開され、「這いよれ! ニャル子さん」(2012)のアニメ化に端を発する何度目かの〈クトゥルフ神話〉ブームが到来している中、ジョン・W・キャンベル・ジュニアの原作小説「影が行く」、「遊星からの物体X」と翻訳出版が相次いでいる。
興味深いのは、創元SF文庫「影が行く」に収録されている、ジョン・W・キャンベル・ジュニアの「影が行く」(翻訳:中村融)は、SF小説として紹介されている一方、扶桑社ミステリー文庫「クトゥルフ神話への招待 遊星からの物体X」では、同「遊星からの物体X」(翻訳:増田まもる)を〈クトゥルフ神話体系〉の作品として紹介している。
更に興味深いのは「クトゥルフ神話への招待 遊星からの物体X」(以下「クトゥルフ神話への招待」)の構成と、同書に収録されている「クトゥルフの呼び声」(翻訳:尾之上浩司)。
先ずはその構成だが、「クトゥルフ神話への招待」の冒頭にはジョン・W・キャンベル・ジュニアの「遊星からの物体X」が〈クトゥルフ神話〉的な観点で増田まもるによって新たに翻訳されている。
続くラムジー・キャンベルの5つの短編は、同じ地名が何度も登場することから、同じ地域で起きたいくつかの事件を〈クトゥルフ神話体系〉に法った作品として紹介している。
そして本書の取りを飾るのは、ハワード・フィリップス・ラヴクラフトの伝説的な傑作を尾之上浩司が新たに訳した「クトゥルフの呼び声」。
特に興味深いのは「クトゥルフの呼び声」に尾之上浩司が付けたルビ。
該当部分を引用する。
カストロ老人が中国人から聞いて断片的に憶えている伝説は、神智学者をぞっとさせ、この世がまだ生まれたばかりのもののように感じさせる衝撃を持っていた。はるか昔、この地球は別のものたち(シングス)によって支配されていた。そして巨大な都市がいくつもあった。不死をきわめた中国人仙人によると、その都市の残骸が、いまも太平洋の島々に巨石として残っているのだとか。人類誕生以前の広大な時の流れのなかでかれらは滅んだが、永劫につづく時の流れとともに星が正しい位置にもどれば、絵や像として残るかれらはこの地によみがえる。じつは、よその星から来たかれらは、自分の姿に似せた像を持ってきたのである、というのだ。(尾之上浩司訳「クトゥルフの呼び声」/( )内は本文ではルビ)
さて、このルビはどう考えても翻訳者:尾之上浩司からの〈目配せ〉であろう。と言うのもジョン・カーペンター監督作品「遊星からの物体X」(1982)の原題は皆さんご存知のように「The Thing」なのであるから。
どう?
「遊星からの物体X」はラヴクラフトの影響受けてるでしょ。偶然じゃないよね。と言う感じで。
もっとも、ハワード・ホークス製作、クリスチャン・ネイビー監督の「遊星よりの物体X」(1951)の原題も「The Thing (From Another World)」なので、カーペンターがラヴクラフトの影響を受けている、とは言い難いですけど。
そして、このルビだけではなく、前述の「クトゥルフ神話への招待」の構成を含めた、尾之上浩司のデレクションが興味深い。
ところでこのルビは尾之上浩司のオリジナルなのだろうか、それを確認すべく創元推理文庫版の「クトゥルフの呼び声」(翻訳:宇野利泰/「ラヴクラフト全集2」に収録)を調べてみる。おそらく宇野利泰訳の「クトゥルフの呼び声」が日本国内ではスタンダードな翻訳だろう。
カストロ老人の記憶は断片に過ぎなかったが、その伝承の奇怪さは、見神論者の考察をたじろがせ、人類とこの世界をまだ根が浅く、暫定的なものにすぎぬと思わせる何かがあった。人類誕生以前のこの地球は、星から渡ってきた《あるもの》が支配していて、彼らは各地に壮麗豪華な大都市を建設した。それがいまなお----不死の中国人僧の言葉によれば----太平洋上の島々に、巨石文化の遺跡として残存している。彼らは人類が生まれてくる以前に死に絶えたが、宇宙は永遠の周回を繰り返しているので、いつかまた、星座が正しい位置に復帰する日が訪れる。その日、彼らは、星から地球に降下するときに携えてきた聖像の力で蘇る。(宇野利泰訳「クトゥルフの呼び声」)
いやぁ、ドキドキしますね。
尾之上浩司版は『別のものたち(シングス)』で、宇野利泰版では『《あるもの》』と翻訳されてました。
それでは、ハワード・フィリップス・ラヴクラフトの「The Call of Ctulhu」の原文にあたってみましょう。
Old Castro remembered bits of hideous legend that paled the speculations of theosophists and made man and the world seem recent and transient indeed. There had been aeons when other Things ruled on the earth, and They had had great cities. Remains of Them, he said the deathless Chinamen had told him, were still to be found as Cyclopean stones on islands in the Pacific. They all died vast epochs of time before men came, but there were arts which could revive Them when the stars had come round again to the right positions in the cycle of eternity. They had, indeed, come themselves from the stars, and brought Their images with Them.
なんと『things』じゃなくて『Things』でした。『T』が大文字です。
宇野利泰訳で『《あるもの》』と《 》がついていたのも頷けますね。
偶然と言うか、見事なシンクロニシティではないでしょうか。
しかしながら、事実関係は判明したものの、やっぱりおそろしいのは、尾之上浩司のデレクション、と言うか最早フォーシングですよね。
と言う訳で、「遊星からの物体X」(「影が行く」)が〈クトゥルフ神話体系〉に法った作品だと、信じるのも信じないものもあなた次第、ですね。
いかがですか?
ルビひとつで楽しい時間が過ごせましたよね。
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