「機械男」を読み解くためのメモ その2
2013年7月27日に開催された《第7回ネタバレ円卓会議》に参加した。
課題書はマックス・バリーの「機械男」だったので、ネタバレ円卓会議向けに色々考えたことを紹介します。今日はその第2回目。
第1回目はこちら。
『「機械男」を読み解くためのメモ その1』 2013/08/04
「機械男」
著者:マックス・バリー
訳者:鈴木恵
出版社:文藝春秋
概要:機械を愛するあまり自分を機械化した理系オタク技術者を軍事企業が狙う。初めてできた彼女を守るため、機械男は死地へ赴く!
編集者コメント:映画「ブラック・スワン」のダーレン・アロノフスキーによる映画化が決定しているのが、この「機械男」。雑誌「ワイアード」が絶賛を送る、あまりに21世紀的な理系サスペンスの傑作です。題名どおり自分の身体を機械化してゆく青年エンジニアが主人公。いわば「ロボコップ」ならぬ「ロボオタク」、生まれてはじめてできた彼女を軍事産業の陰謀から守るため、彼は機械の身体を駆使して死地へ飛び込んでゆきます。皮肉な現代批判に切ない恋愛を載せてサスペンスフルに突き進む快作です。(SN) (文藝春秋の「機械男」紹介ページより引用)
◆ローラ・シャンクス(Lola Shanks)について
人生に大切な事の多くを映画で学んでいるわたしは、ローラの名前を聞いて思い出す映画があった。
それは黒澤明の「天国と地獄」(1963)である。
冒頭、製靴会社の常務権藤金吾の自宅に重役連中が集まっていた。
社長のやり方はもう時代に合わない、と言う重役連中が持ってきた女性靴の見本は社長や権藤がすすめる上質なものではなく、すぐに壊れてしまう品質だった。
彼らは、手縫の上質で、何度も直しながら何十年も使える靴の時代は終わり、大量生産の安物の時代が来ていると考えているのだ。
その話を聞いて激昂した権藤は見本の靴を手でバラバラにしてしまう。
その際に、靴の背骨にあたるシャンクがボール紙で出来ている、と言う描写がある訳です。
Shankにはいろいろな意味があるので、関心がある方は調べてみて下さい。
そんな訳で、義肢装具士ローラ・シャンクスの名前は興味深い訳です。
◆章立て(Chapter)について
「機械男」の章立ては、1、2、3、4・・・・12、13、0となっている。
驚いたことに《ネタバレ円卓会議》に参加した多くの人がこの構成に気付いていなかった。
13章のラスト。
非常に感動的なシーンがあるのだが、これは言わば「天空の城ラピュタ」(1986)の滅びの言葉のシークエンスにも匹敵するシーンだと思う。
そして0章。
ここで描かれているのは、《死と再生》のメタファーであり、フリードリヒ・ニーチェの言うところによる《超人の誕生》である。
そもそも《美脚》のビジュアル・イメージは「ロボコップ」(1987)に登場するED-209(写真はオムニ社の保安部長ジョーンズとED-209)に似ているし、第0章で描かれているのは、「ロボコップ」の誕生シークエンスに酷似している。
しかしながら、物語は「ロボコップ」と言うよりは、アーサー・C・クラークの「2001年宇宙の旅」における《スターチャイルド》の誕生のメタファーであり、イメージとして近いのはオースン・スコット・カードの「エンダーのゲーム」シリーズに登場するジェインの誕生のような印象も受ける。
または、スティーヴン・キング原作の「バーチャル・ウォーズ」(1992)のラストシーン、あの素晴しいラストシーンのような印象をも受ける。
マックス・バリーは1973年生まれだと言う事を考えると、「機会男」はマックス・バリーが多感な時代を過ごした1980〜1990年代の様々な作品の影響が見え隠れしている。
そして、「機会男」のラストはなぜ第0章だったのか。
まあ解釈としてはいろいろと考えられるのだが、わたしは新たな物語の始まりを表していると考えている。
◆なぜ6年後なのか
第0章で描かれているのは、第13章のラストの6年後である。
なぜ6年後なのか。
どう考えても6年後、6と言う数字に何らかの意味があるに決まっている。
p191にこんなセリフがある。
「子供のころ木から落っこちたことがあってさ」ぼくは言った。「脚を切っちゃったんで、縫ってもらったんだ。跡が残った。小さな白い筋が。いまそれがなくなってみると、ちょっぴり寂しいよ。過去との肉体的なつながりだったから。大したものじゃないけど。それでもさ。思いもしない形でつながりを断たれちゃったわけだから。ぼくの体には時間が記憶されている。歴史が埋め込まれているんだ」ジェイソンは何も言わない。「もちろん、人間の組織は七年ごとにすっかり新しくなってしまう。その傷が当時と同じ分子でできていたとは考えにくい。きみは人を七年前のそいつと同一の存在だと見なすことが、本当に適切だと思うか? だって肉体的には別物なんだぞ。元のそいつとつながってはいても、各部はみんな入れ替わってるんだからな。改修した家みたいにさ。なんだか、七年経てば自分がしたことに責任を取らなくてもいいように思えてきたな。別の肉体がしでかした犯罪で、なぜ刑務所にはいらなきゃならないんだ? 結婚の誓いを述べたときと同じ分子をひとつも持たなくなった夫婦に、あくまで夫婦でいることを求めるべきか? ぼくはそうは思わないな。そんな単純な話じゃないのはわかるけど、それがぼくの意見だね」
そう、7年経ってしまったら、人間の組織の分子は全て入れ替わってしまうのだ。
と言う事は、もしかしたら、それが6年後だったら。
もしかしたら、まだ。
そう考えざるを得ない。
そして、「機会男」のラストを読んだ後、冒頭の一節に戻って欲しい。
子供のころぼくは列車になりたかった。それがおかしなことだとは気づいていなかった・・・・ほかの子たちは列車になるのではなく、列車で遊ぶのだとは。(中略)ぼくにはそれが不思議でならなかった。ぼくが好きなのは自分の体を二百トンの驀進する鋼鉄に見立てること。自分はピストンやバルブやシリンダーなのだと空想することだった。
「それロボットだよ」と仲良しのジェレミーに言われた。「おまえロボットごっこがしたいんだよ」と。そんなふうに考えたことはなかった。ロボットと言うのは目が四角くて、動きがぎくしゃくしていて、たいてい地球を滅ぼそうとする。ひとつのことをきちんと行うのではなく、あらゆることをがさつに行なう。なんでも屋なのだ。ぼくはロボットのファンではなかった。ロボットはだめな機械だ。
さて、こんな回想をしているのは一体誰なんだろうか。
もちろんチャールズ・ニューマンその人なんだが、いつの時点のニューマンなのか。
第13章までのニューマンなのか、それとも第0章のニューマンなのか。
本当にこの「機械男」と言う物語は恐ろしい構造を持っているよね。
今日はここまで。
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