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2016年9月19日

「教室の灯りは謎の色」をめぐる冒険

「教室の灯りは謎の色」 水生大海(みずきひろみ)の「教室の灯りは謎の色」を読了した。

「教室の灯りは謎の色」
著者:水生大海
装画:たえ
装丁:大原由衣
出版:角川書店 2016年8月30日初版発行

あらすじ:塾には通いながらも不登校を続ける高校生の遥。ある日、レンタルショップで事件が起き、遥は犯人として疑われる。窮地を救ってくれたたのは、塾講師・黒澤だった。黒澤に導かれ、遥の心は解きほぐされていく――。

子どもの頃、探偵が出てきて殺人事件の謎を解くタイプのミステリーが大好きだった。

しかしいつの頃からか、人の死をおもちゃにするタイプのミステリーが苦手になってしまう。

その契機となったのは、スティーヴン・キングの「骨の袋」であり、アントニー・バークリーのkidle版「毒入りチョコレート事件」であった

「骨の袋」でキングは、小説の登場人物、たかが「骨の袋」に過ぎないフィクションの登場人物の死に作者は責任を負うべきなのかどうか、物語を盛り上げるために、読者が愛した登場人物を殺す事の是否は、と言う命題を読者に提示している。

また、「毒入りチョコレート事件」は、もちろん子どもの頃は楽しく読んだ作品なのだが、kindle版を購入して再読したところ、なんだかそこはかとない怒りを感じてしまった。

同作「毒入りチョコレート事件」は、毒が入ったチョコレートを食べて死んだ事件の謎解きが複数提示されると言う《多重解決》形式のミステリーの代表的な作品である。

その影響もあり、当時のわたしは、人が死なないミステリー、所謂《日常の謎》形式の作品をかため読みしてしまった。

そんな中、水生大海の「教室の灯りは謎の色」を読むことになる。

その原因は、水生大海の次のツイートである。
何を言っているのかわからないと思うけど。

さて、本作「教室の灯りは謎の色」は、現代の学習塾を舞台にした《日常の謎》形式のミステリーで、《連作短篇》の形式をとっている。

主人公の並木遥は謎解きが好きな女子高校生で、探偵役を振られている黒澤先生は学習塾の講師である。

物語の構造としては、並木遥も黒澤先生も探偵役であり、一時期流行った、無能な探偵と聡明な助手の形式をとっている。

興味深いのは、本作で遡上にのせる題材は、《いじめ》《ストーカー》《不倫》《痴漢》と、非常に現代的な点。女子高校生にとって非常にリアルな題材なんだと思う。なんだか森絵都の「カラフル」を思い出した。

また、興味深いのは著者である水生大海の女性としての視点である。

例えば、次のような描写がある。

 リュックからチラシを取り出す。ふたつ折りにしてぽいと突っ込んでいたから端がよれていた。たしかに書いてある。「品川まで歩いてみよう」って。そりゃ女子は敬遠するよね、八キロ……、約二時間だもん。今日は梅雨の中休みとあって、結構晴れているし。 (p50)

黒澤先生推しの並木遥は、黒澤先生が参加する、と言う理由だけで、イベントの内容を調べずに、新橋品川間の八キロ区間を歩くイベントに参加する。これはそれを知った瞬間の並木遥の心の声である。

興味深いのは、《今日は梅雨の中休みとあって、結構晴れているし。》の部分、並木遥は、八キロ歩くイベントにとって《晴れ》を否定的にとらえているのだ。

せっかくの歩くイベントなんだから、一般的には《晴れ》を肯定的にとらえるところだが、並木遥は否定的にとららえている。

これはおそらく女子高校生である並木遥は《日焼け》を嫌がっているのだ、と推測する事ができるが、その筆者の観点が新鮮に思えた。

本作「教室の灯りは謎の色」には、このような水生大海の(わたしにとって)新鮮な視線が随所に表れている。

また、興味深いのは、並木遥をはじめとした高校生や大学生世代のキャラクターが、われわれ大人から見ると決して魅力的ではなく、時には反抗的で、コミュニケーションを拒絶し、大人をある意味敵視しているキャラクターとして設定されているような印象を受ける。

このあたりも興味深く、われわれにとってはとっつきにくいキャラクターであっても、若年層にとってはリアルに感じられるのではないか、と感じた。

また、《日常の謎》形式のミステリーである以上、謎解きの伏線が見事である。

謎解きは急転直下のきらいは否定できないが、誌面の都合だと好意的に解釈する。

舌を巻くのはサブタイトル「第一話 水中トーチライト」の意味である。

第二話以降はサブタイトルと内容は一致しているのだが、第一話については一致しておらず、もやもやする。わたしはそのもやもやを抱えたまま、本書を読み進めることになった。はたして・・・・。

本作「教室の灯りは謎の色」は、《日常の謎》形式のミステリー作品として、一話一話が若干短く、謎解き部分の急転直下加減は否めないが、非常に面白く、また現代社会における女子高校生が直面するであろう様々な社会問題にも切り込んでいる興味深い連作短篇集である。関心がある方は是非。


余談だが、著者の水生大海氏とは一度ご一緒した事があるのだが、その際に、わたしがある作品の解釈を披露した際、その解釈の背景や根拠について随分と突っ込まれた記憶がある。

だからどう、と言う話ではないのだが、やっぱりミステリー作家ってちょっとこわい、www と思いました。

だって、例によって、わたしの妄想気味の解釈について、その根拠を求められたんだもん。

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2012年7月 2日

「屍者の帝国」は8月22日発売

河出書房新社の新刊情報によると、円城塔が伊藤計劃の遺作となった未完の長編を引き継ぎ執筆した「屍者の帝国」は2012年8月22日に発売される模様。

「屍者の帝国」
著者:伊藤計劃
著者:円城塔
出版社:河出書房新社
発売日:2012/08/22
価格:1,890円(税込)
概要:フランケンシュタインの技術が全世界に拡散した19世紀末、英国政府機関の密命を受け、秘密諜報員ワトソンの冒険がいま始まる。日本SF大賞作家×芥川賞作家、最強コンビが贈る超大作。(オフィシャル・サイトより引用)

なお、「屍者の帝国」については以前のエントリー『「屍者の帝国」をめぐる冒険』を参照いただきたい。

Project Itoh goes on.

なお、伊藤計劃の「屍者の帝国」の冒頭部分は、「書き下ろし日本SFコレクション NOVA1」掲載されている。

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2012年5月 3日

「弁護士探偵物語 天使の分け前」

『このミステリーがすごい!』第10回大賞受賞作品「弁護士探偵物語 天使の分け前」を読了した。

「弁護士探偵物語 天使の分け前」

著者:法坂一広
出版社:宝島社
あらすじ:舞台は福岡。「殺した記憶はない」母子殺害事件の容疑者・内尾は言った。裁判のあり方をめぐって司法と検察に真っ向から異を唱えたことで、弁護士の「私」は懲戒処分を受ける。復帰して間もなく、事件で妻子を奪われた寅田が私の前に現れた。私は再び、違和感を抱えていた事件に挑むことに。その矢先、心神喪失として強制入院させられていた内尾が失踪。さらに周囲で不可解な殺人が起こり……。(オフィシャル・サイトより引用)

本作「弁護士探偵物語 天使の分け前」は、おそらく、東直己の北海道札幌市を舞台にした「ススキノ探偵シリーズ」の向こうを張って執筆された、南は福岡県福岡市を舞台にしたハードボイルド小説。

しかも、著者である法坂一広は現役弁護士と言う変わり種。本作は、エンターテインメント小説をもって現代の司法界が抱える問題を提起する、と言う孤高な精神を持った作品である。

物語はともかく、本作は様々なハードボイルド小説の影響を受けている、と言うか、あまりにもそれらの小説への言及が多く、最早ハードボイルド小説のパロディの域にまで達してしまっている。

例えば冒頭、本作の主人公である「私」が事務所に戻ってくると、大男が酔っぱらったあげく、足を事務所のドアから放り出した状態で眠り込んでいるのを発見する。

その男の名前は寅田半次郎。
三年程前に「私」が国選弁護人として担当した事件の被害者側の関係者であった。

その寅田の登場シーンを読んだわたしは驚いた。

と言うのも、動物の名前がついた男が酔っぱらって放り出した足のせいで、ドアが閉まらなくなっているのである。

これは、酔っぱらった大鹿マロイがロールス・ロイス・シルバー・レイスのドアから足を放り出しドアが閉まらなくなっていることを示している。

つまりこれは、レイモンド・チャンドラーの「さらば愛しき女よ」「長いお別れ」への言及に他ならない。

みなさんご承知のように「さらば愛しき女よ」には大鹿マロイと呼ばれる大男が登場し、「長いお別れ」の冒頭ではテリー・レノックスが酔っぱらったあげく、ロールス・ロイスのドアから足を放り出しているシーンから始まる。

また、ハードボイルド作品への様々な言及をのぞいても、「私」の語り口は、常に減らず口を叩き続け、おそらく著者にとっては、気の利いたセリフや表現だらけなのである。

尤もその気の利いた表現の全てが上手く機能しているかと言うとそうではなく、読者の鼻につくほど乱発されるその気の利いたセリフや表現は、大いに滑りまくっている。

しかしながら、その語り口自体は非常にこなれており、新人作家の域を超えていると思えるのだが、その気の利いた表現の連続にいらいらしてしまう。

物語としては、中盤くらいまでは非常に面白く読んだのだが、ラストへの持って行き方が釈然としない。

また、描かれる事件自体もたいした事件ではなく、その事件から派生するエモーションよりは、前述の通り、現代の司法界が抱える問題点から派生するエモーションの方が大きく、本末転倒の印象を否定できない。

とは言うものの、「私」のキャラクターは、減らず口だらけで、ハードボイルド小説への言及や引用だらけなのは鼻につくが、魅力的である事は魅力的である。

冒頭のように、北に「ススキノ探偵シリーズ」あれば、南に「福岡弁護士探偵シリーズ」あり、と言うような状況になって欲しいと個人的には思っている。

先ずは、本作「弁護士探偵物語 天使の分け前」のヒットを願いたい。

法坂一広「弁護士探偵物語 天使の分け前」サイン本
まあ、例によってサイン本。

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2012年3月13日

「震える牛」

「震える牛」 相場英雄の「震える牛」を読了した。

「震える牛」
著 者:相場英雄
出版社:小学館

あらすじ:警視庁捜査一課継続捜査班に勤務する田川信一は、発生から二年が経ち未解決となっている「中野駅前 居酒屋強盗殺人事件」の捜査を命じられる。 

初動捜査では、その手口から犯人を「金目当ての不良外国人」に絞り込んでいた。田川は事件現場周辺の目撃証言を徹底的に洗い直し、犯人が逃走する際ベンツに乗車したことを掴む。

ベンツに乗れるような人間が、金ほしさにチェーンの居酒屋を襲うだろうか。同時に殺害されたのは、互いに面識のない仙台在住の獣医師と東京・大久保在住の産廃業者。

田川は二人の繋がりを探るうち大手ショッピングセンターの地方進出、それに伴う地元商店街の苦境など、日本の構造変化が事件に大きく関連していることに気付く。
(オフィシャル・サイトより引用)

本作「震える牛」は、まあ当然と言えば当然なのだがミステリーの体裁をとっている。

本作の主人公である田川信一は警視庁捜査一課継続捜査班に所属している。その継続捜査班とは、迷宮入りが濃厚な事件を主に担当する捜査班で、田川は言わば閑職に甘んじているような状況なのである。

そんな中、田川は上司の宮田から、発生から二年が経過し未解決のままになっている「中野駅前 居酒屋強盗殺人事件」の捜査を命じられる。

田川の地道な捜査によって、その事件の初動捜査に問題があったことが明らかになってくる。当時の特別捜査本部指揮官の予断に問題があったのだ。

いかがだろうか。
本作「震える牛」の冒頭部分は、ミステリーの、と言うか所謂警察小説の王道のような展開である。

この警察小説の王道のような展開は、中盤から後半にかけて、本書自体のプロットの流れにも感じられる。

しかしながら、本書「震える牛」の著者である相場英雄が読者に伝えたかったのは、この警察小説が語る王道物語ではない。

相場英雄が伝えたいのは怒りである。

本書「震える牛」の持つミステリーの骨組みは、呼び水でしかないのだ。

本書には、相場英雄の苛烈な怒りが充満しているのだ。

その一つは、大手ショッピングセンターの地方への出店によって引き起こされた、地方の商店街の経営破綻であり、その後、集客のピークを過ぎたショッピングセンターから次々と撤退する有力テナントショップの影響で過疎化が加速するショッピングセンター。

最終的にはショッピングセンター自体の経営的撤退により、地方に残される巨大な廃墟と買物難民の群れである。

大手ショッピングセンターは町を殺しているのだ。

そして、そんな大手ショッピングセンターからテナントに要求される高マージンを捻出する為、価格破壊を余儀なくされる様々なテナント、そして高マージンを捻出するための低価格を実現するために食品業界に浸透する食品偽造問題である。

最近話題になったピンクスライムと同等の代用肉が本書「震える牛」にも登場する。

ところで、本書「震える牛」の冒頭の一節を引用する。

『幾度となく、経済的な事由が、国民の健康上の事由に優先された。秘密主義が、情報公開の必要性に優先された。そして政府の役人は、道徳上や倫理上の意味合いではなく、財政上の、あるいは官僚的、政治的な意味合いを最重要視して行動していたようだ』

この一節は本書の終盤にも再度登場する。

ここで相場英雄は読者に何を伝えようとしているのか。

この時期、本書「震える牛」が上梓された意義は大きい。

相場英雄はショッビングセンターによる地方の破壊と食品偽造問題を題材に、東日本大震災以後の日本を、福島第一原子力発電所事故後の日本を描いているのだ。

そして、相場英雄はミステリーの、警察小説の体裁を利用し、つまり誰もが手に取りやすいミステリーの体裁を利用し、社会の闇に読者を誘っているのだ。

エンターテインメントと言う餌で、読者を社会派へと導いているのだ。

おそるべし、相場英雄。

この春、是非読んでいただきたい一冊である。

相場英雄のサイン入り「震える牛」
そんな訳でサイン本。

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2012年2月16日

「裏切りのサーカス」公式サイト更新!

先日のエントリー【「裏切りのサーカス」公式サイトオープン!】で紹介した映画「裏切りのサーカス」の公式サイトが更新された。

「裏切りのサーカス」公式サイト

スクリーンショット:映画「裏切りのサーカス」公式サイト

トップページで予告編が観られるようになり、先日指摘した、

原作:「ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ」ジョン・ル・カレ著(ハヤカワ文庫刊)

は、

原作:「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」ジョン・ル・カレ著(ハヤカワ文庫刊)

に訂正された。

でも、その前に、

監督:トーマス・アレフレッドソン『ぼりのエリ200歳の少女』

っていったい!?

と思って、以前とったスクリーンショットを確認してみたら、最初から『ぼりのエリ200歳の少女』になってた。

正解は「ぼくのエリ200歳の少女」ね。

念の為。



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2012年1月28日

【ウッドハウスさん、130回めの誕生日おめでとう!(前篇)】をめぐる冒険

先日のエントリー「ジーヴズの事件簿―才智縦横の巻」でP・G・ウッドハウスの紹介をしたら、それに呼応するように(嘘)、2012年1月28日、翻訳ミステリー大賞シンジケート公式ブログでウッドハウスに関するエントリー(全4回の第1回)が公開された。

【特別寄稿】ウッドハウス聖地巡礼記・第1回(執筆者・森村たまき)
第1回:ウッドハウスさん、130回めの誕生日おめでとう!(前篇)

現在、P・G・ウッドハウスの翻訳は、文藝春秋国書刊行会から出版されている。

先日のエントリーでは、

もしかすると、このままジーヴズシリーズが文春文庫で全部揃うんじゃねぇの、と言う希望的観測のもと、わたしは平積みの「ジーヴズの事件簿―才智縦横の巻」を購入することにした。

と書いたが、それは甘い考えだったようで、やはりジーヴズシリーズを読破するには、国書刊行会ウッドハウス・コレクションを揃えないといけない模様。なお、本コレクションの翻訳は前述のエントリーの執筆者である森村たまき。

まあ、全部揃えれば良いだけなのだが、全14冊、各2,100円〜2,310円と言うのは少し高いような気がする。

さて、先ほど紹介した、

【特別寄稿】ウッドハウス聖地巡礼記・第1回(執筆者・森村たまき)
第1回:ウッドハウスさん、130回めの誕生日おめでとう!(前篇)

だが、このエントリーは国書刊行会のウッドハウス・コレクションの翻訳者である森村たまきが、2011年10月に開催されたアメリカウッドハウス協会大会主催のウッドハウス生誕130周年を祝うイベントに参加した際のレポートである。

非常に興味深いレポートなので、是非ご一読をお勧めする。
市井のジーヴズファンによるアカデミックな考察が非常に楽しそうなコンベンションのようだ。

全くの余談だが、ジーヴズシリーズを読んでいると、テレビシリーズ「SOAP」の執事ベンソンを思い出す。
「SOAP」の執事ベンソンは、ロバート・ギヨームが演じており、エミー賞コメディー部門助演男優賞を受賞している。
また、そのベンソン人気により、スピンオフ作品「Benson」が制作されている。

ウッドハウス・コレクション第一巻「比類なるジーブス」

ウッドハウス・コレクション第14巻「ジーヴスとねこさらい」

当ブログでは、Jeevesを文藝春秋にならいジーヴズと表記しているが、国書刊行会ではジーヴスと表記されている。念の為。

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2012年1月25日

「装飾庭園殺人事件」

「装飾庭園殺人事件」
著者:ジェフ・ニコルソン
翻訳:風間賢二
装画:藤田新策
出版:扶桑社ミステリー文庫

このような小説を読むと、翻訳家とは凄い職業だな、と思えてならない。

と言うのも、本作「装飾庭園殺人事件」は、なんと16人もの語り手が章ごとに次々と変わっていく一人称小説の形態をとっているのだ。

つまり、本作「装飾庭園殺人事件」はその構成上、当然のごとく、章ごとつまり16人の語り手ごとに、語り口や文体、漢字の多寡や論理性、簡潔さや回りくどさ、もちろん読みやすさや読みにくさがどんどん変わっていく。

もちろん、語り手が変わる一人称小説のお約束として、その章の冒頭から中盤くらいまでは、語り手が誰なのか判然としない構成をもとっている。つまり語り手が一体誰なのかを推測するヒントとなる固有名詞がなかなか出てこないのだ。

そんなの小説なんだから当り前だろう、という人もいるだろう。

それがもし日本語で書かれた小説であれば、当り前で済むのだろうが、本作は残念ながら英語で書かれた小説である。

そう、本作に登場する一人称単数の代名詞は、おそらくだが、"I"だけなのである。

つまり、本作「装飾庭園殺人事件」の翻訳家である風間賢二は、"I"からはじまる16名の登場人物の語りを見事に訳し分けているのだ。

冒頭、p5からのジョン・ファンサムの口語調の語り口は、非常にユーモラスでとっつきやすくてわかりやすい。探偵小説、特にハードボイルド小説の冒頭を飾る上では理想的な語り口である。

しかしながら、次の語り手、p17からのモーリン・テンプルの語り口は硬質で理屈っぽく、非常にわかりにくい。
わたしはこの章を、おい、一体どうなってんだ、さっきの語り口と全然違うじゃないか、全くもって読みづらいよ、と思いながら読み進めた。

p23からは再びジョン・ファンサムのハードボイルド調の好感が持てる語り口が登場、しかしp33からはまたモーリン・テンプルの語り口に。
どうやらこの小説は二人の視点で進むのかな、と思った矢先、p45からは新たな語り手ダン・ラウントリーの視点が登場、という具合。

そんな訳で、本作「装飾庭園殺人事件」は都合16名の老若男女の視点が織りなす、タペストリーのような絢爛豪華な作風を持っている。

物語は、ロンドンのホテルで睡眠薬自殺を図ったと思われる男性の死体が発見されるが、その美しい未亡人は夫が自殺する訳はないと、金をバラまきながら夫の死因の独自調査をはじめるが、その未亡人の前に奇妙な関係者たちが次々と現れ、夫の知られざる顔が・・・・。というもの。

個人的には、複数の視点から描かれた主観的な物語の断片が、最終的に、ある事実を編み上げていく、という構成にはグっとくるものがある。

しかし、わたしは、本作「装飾庭園殺人事件」を一読して、あっけにとられました。

ところで、非常に興味深かったのは、本作「装飾庭園殺人事件」の翻訳者は風間賢二氏である、ということ。

誰が風間氏にオファーしたのか、はたまたどのような経緯で翻訳者が風間氏に決定したのかはわからないが、風間氏自身は本作「装飾庭園殺人事件」の内容というか作品の趣向というか作品の趣味にぴったりな翻訳家だと思ったよ。

余談だけど、日本語の一人称単数の代名詞は、フリー百科事典Wikipediaによると、70種類以上もある模様。

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2012年1月20日

「遠まわりする雛」をめぐる冒険

早速で恐縮だが、米澤穂信の「遠まわりする雛」のあとがきが大変興味深い。

ところで、そもそも「遠まわりする雛」とは何ぞや、と言う話なのだが、同書は米澤穂信の〈古典部〉シリーズ第4作目であり、〈古典部〉シリーズ初の短篇集である。

それでは、その〈古典部〉シリーズとは一体どんなシリーズなのか、と言うところなのだが、このシリーズはフリー百科事典Wikipediaによると、

文化系部活動が活発なことで有名な進学校、神山高校で「古典部」という廃部寸前の部活に入部した男女4人が、学校生活に隠された謎に挑む。主に、主人公であり探偵役でもある折木奉太郎の一人称で語られる。

とのこと。

つまり、この〈古典部〉シリーズは、学校生活に隠された謎に挑むミステリー、つまり、人が死なないミステリーなのだ。

この殺伐とした世の中において、またミステリーの大前提と言うか宿命として、人が死んでしまうのが当り前のミステリー界において、人が死なないミステリーとは、なんとも心地良い。心からそう思う。

さて、それでは今日の本題である「遠まわりする雛」のあとがきについてだが、その興味深い部分を引用してみよう。

また、今回は短篇集ということで、さまざまなシチュエーションを使うことができました。そのためミステリの趣向もいろいろなものを試しています。このシリーズとミステリの両方をよくご存じの方であれば、「手作りチョコレート事件」が倒叙ミステリと言っていい作りになっていることに気づかれたかもしれません。

もし本書をきっかけにミステリを広く読んでみたいと思われる向きがありましたら、「心あたりのある方は」がハリイ・ケメルマン「九マイルでは遠すぎる」への、「あきましておめでとう」がジャック・フットレル「十三号独房の問題」への入り口になってくれれば嬉しいです。

いかがだろう。

つまり、ここで米澤穂信は本書「遠まわりする雛」を通じて、本書に関心を持った読者を海外ミステリーの世界へと招待しているのだ。

現代の若い世代は海外の小説や音楽にあまり関心を持っていないと言われている。
おそらく日本国内の小説や音楽で満足してしまっているのだろう。

もう少し上の世代だと、例えば国内の好きな作家やアーティストが影響を受けている海外の小説や音楽を遡りながら読んだり聴いたりすることが一般的なのではないかと思う。

そんな中、米澤穂信は自らの作品の読者を、特に若年層の読者を海外ミステリーの世界にいざなっているのだ。

ここにも一人、日本国内の読者が減少し、また日本国内の読者が関心を持たなくなっている海外ミステリーが置かれている状況について憂いている人がいたぞ。

これを機に、海外ミステリーの世界にも目を向けていただきたいと思う。

「遠まわりする雛」米澤穂信
お約束で恐縮だが「遠まわりする雛」も米澤穂信のサイン入りだよ。

なお、「十三号独房の問題」「世界短編傑作集 1」に収録されています。

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2012年1月18日

「屍者の帝国」をめぐる冒険

2012年1月17日 驚くべきニュースが日本中を駆け巡った。

第146回芥川賞を受賞した円城塔は、伊藤計劃の遺作となった未完の長編「屍者の帝国」を引き継ぎ、完成させる意向を明らかにしたのだ。

この件については2012年1月18日に「WEB 本の雑誌」で公開された大森望の記事「伊藤計劃の遺稿を円城塔が書き継ぐ」が詳しい。

伊藤計劃の遺稿を円城塔が書き継ぐ

記録のため重要な部分を引用する。

1月17日に選考会が行われた第146回芥川賞は、円城塔「道化師の蝶」と田中慎弥「共喰い」の2作が受賞した。

東京會舘で開かれた記者会見の席上、次回作に関する質問を受けた円城塔は、伊藤計劃の遺作となった未完の長編「屍者の帝国」を引き継ぎ、完成させる意向を明らかにした。

いわく、

「わたくしはデビューして今年で5年目になるんですけれど、ほぼ同時期にデビューして、3年前に亡くなった、伊藤計劃というたいへん力のある作家がいました。その伊藤計劃が残した冒頭30枚ほどの原稿があります。それを書き継ぐ----といっても、彼のように書くことは無理なんですが、自分なりに完成させるという仕事を、この3年間、ご家族の了承を得てやってきました。そろそろ終わりそうです。『なぜおまえが』という批判は当然あるでしょうが、次の仕事として、やらせていただければと思っています」

伊藤計劃「屍者の帝国」は、河出書房新社編集部の求めに応じて伊藤計劃が病床で執筆していた書き下ろし作品。完成すれば第四長編となるはずだったが、冒頭部分(400字詰原稿用紙にして約30枚分)だけを残して、著者は2009年3月20日に死去した。

今回の「屍者の帝国」は、伊藤計劃が残した遺稿とプロットを円城塔が引き継ぐかたちになる。

伊藤計劃と円城塔。現代SFを代表するふたつ才能の融合がどんな長編に結実したのか、「屍者の帝国」を読む日が待ち遠しい。
   Project Itoh goes on.
 (大森望)

なんとも胸熱な展開だろうか。

「屍者の帝国」については、「虐殺器官」「ハーモニー」を読んでいたわたしは、2009年12月に河出書房新社から出版される大森望責任編集「書き下ろし日本SFコレクション NOVA1」伊藤計劃の新作が掲載される、と言う話を聞き、大喜びで「NOVA1」を購入したものの、なんと冒頭の一部しか掲載されておらず、--わたしは伊藤計劃の新作短篇が全文掲載されていると思い込んでいたのだ--、非常に残念な思いをした記憶がある。

あぁ、やはり伊藤計劃の新作はもう読めないのだな、と。

その期待の作品が近いうちに読めるとは、何と素晴らしいことであろうか。

楽しみで仕方がない。

ところで、折角なので、わたしの広大なアーカイブ(嘘)から、ちょっとしたお宝グッズを紹介しようと思う。

「メタルギア・ソリッド4・ガンズ・オブ・ザ・パトリオット」パンフレット

これは「東京ゲームショウ2007」のKONAMIブースで配付されていた「METAL GEAR SOLID 4: GUNS OF THE PATRIOTS」のパンフレットである。

何故こんなものを紹介しているのか、と言う話なのだが、なんと伊藤計劃がこのパンフレットに寄稿しているのだ。

「小島秀夫---我ら神亡き時代の神の語り手として」伊藤計劃
題して「小島秀夫---我ら神亡き時代の神の語り手として」

この文章の伊藤計劃の紹介文がふるっている。

いとう けいかく
Project - Itoh

1974年東京都生まれ。武蔵野美術大学卒。Webディレクター兼作家。
著書にポスト9.11の内戦と民族虐殺を描いた「虐殺器官」(早川書房)。
中学より二十年間、リアルタイムに小島秀夫監督作品の洗礼を受けてきた「小島秀夫原理主義者」。



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2012年1月11日

「ゴーグル男の怪」

「ゴーグル男の怪」

「ゴーグル男の怪」
だと!

タイトルを一見して驚いた。島田荘司め、ふざけてるのか、と。

しかし同書の表紙を飾る影山徹の装画は素晴らしかった。

装画に惹かれる形でわたしは島田荘司の「ゴーグル男の怪」を手に取った。

そもそも「ゴーグル男の怪」は、2011年8月にNHK総合テレビ(当時)で放送された『探偵Xからの挑戦状! 夏休み・島田荘司スペシャル「ゴーグル男の怪」』のために執筆された作品をもとに大幅に加筆、改稿を経て単行本化されたものである。

『探偵Xからの挑戦状!』とは、ケータイ小説とテレビを連動させたミステリー番組で、視聴者はサイトにメールアドレスを登録すると、放送11日前からテレビ番組の「問題編」にあたる「ミステリーメール」が毎日届き、放送前日には視聴者がWEBで推理投票を行い、その上で「解決編」にあたるテレビ番組を視聴し、視聴者の推理投票の結果や、視聴者の推理の傾向、解決にいたった視聴者のハンドル名が発表される、と言う興味深いテレビ番組である。

わたしも『探偵Xからの挑戦状!』を比較的見ており、「ゴーグル男の怪」と言うタイトルには少なからず記憶があったのだが、見たのか見ていないのかの記憶がない。

仮に見ていたとしても、おそらくツイッターでもやりながら見ていたのだろう、「ゴーグル男の怪」の内容には全く記憶がなく、どの部分がテレビで放送され、どの部分が加筆されているのか定かではない、と思っていた。

しかしながら、本書「ゴーグル男の怪」を一読すると、加筆されたであろう部分が明確に立ち上がってくるのだ。

本書「ゴーグル男の怪」では、ふたつの物語が描かれている。

ひとつは煙草屋で起きた殺人事件と現場に残された不可解な謎。そして殺人事件に前後して近隣で目撃され始めるゴーグル男の姿。

そしてもうひとつはある登場人物の自伝的な物語である。

その登場人物は、少年時代に、ある心的外傷を受け、その心的外傷にとらわれながら成人し、最終的には母親が勤めていた高速増殖炉用の燃料を作る会社に勤めることになる。

そしてその登場人物は、下請け作業員の監督者として、ステンレスのバケツと漏斗を使いウラン235の純度をあげる工程を監督している最中に、あろうことか臨界事故を起こしてしまうのだ。

彼は、フルアームドの防護服を付け、倒れた下請け作業員を命がけで救出する、が被爆した2人の下請け作業員は搬送された医療機関で息を引き取ってしまう。

この臨界事故を起こしたバケツと漏斗の工程は、本来ならば複雑な工程を取るべきものだったのだが、時間と効率を求めた会社により発案された裏技的な工程であった。

そう、おそらくはこの登場人物の自伝的な物語が加筆された部分だろう。

島田荘司には、この高速増殖炉用の燃料をつくる会社が引き起こした臨界事故を描く必要があったのだ。

本書「ゴーグル男の怪」は、2011年10月に新潮社から出版されている。

どう考えても、本書は2011年3月の東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故に対する島田荘司のアンサーであり、主張であり、怒りなのだ。

わたしは、島田荘司が小説家として書かなければならない事を、内側から沸き起こる何かに突き動かされるように書いているのだと思う。

本書「ゴーグル男の怪」で印象に残った部分を引用する。

 男の生涯の仕事は、生活費のためだけじゃない。仕事に誇りを持ちたいし、夢も持ちたい。自分の仕事が、この社会をよりよく改善していると思いたい。原子力という新エネルギーに関わっているのならば、なおのことだ。

 けれど、この頃にはもうすっかり事実が解ってしまった。原子力は、未来のエネルギーなんかじゃない。蒸気機関に属した古い技術で、終わった科学だ。その証拠に、大学に原子力学科はなくなった。学生がいなくなったのだ。この科学には、学問的にももう未来はない。(p116より引用)

私見だが、この文章から始まる部分を読むだけでも本書には価値がある。

この文章でわたしは島田荘司のファンになった。

「ゴーグル男の怪」
余談だけど、わたしの「ゴーグル男の怪」は島田荘司のサインつきだよ。

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