「遠まわりする雛」をめぐる冒険
早速で恐縮だが、米澤穂信の「遠まわりする雛」のあとがきが大変興味深い。
ところで、そもそも「遠まわりする雛」とは何ぞや、と言う話なのだが、同書は米澤穂信の〈古典部〉シリーズ第4作目であり、〈古典部〉シリーズ初の短篇集である。
それでは、その〈古典部〉シリーズとは一体どんなシリーズなのか、と言うところなのだが、このシリーズはフリー百科事典Wikipediaによると、
文化系部活動が活発なことで有名な進学校、神山高校で「古典部」という廃部寸前の部活に入部した男女4人が、学校生活に隠された謎に挑む。主に、主人公であり探偵役でもある折木奉太郎の一人称で語られる。
とのこと。
つまり、この〈古典部〉シリーズは、学校生活に隠された謎に挑むミステリー、つまり、人が死なないミステリーなのだ。
この殺伐とした世の中において、またミステリーの大前提と言うか宿命として、人が死んでしまうのが当り前のミステリー界において、人が死なないミステリーとは、なんとも心地良い。心からそう思う。
さて、それでは今日の本題である「遠まわりする雛」のあとがきについてだが、その興味深い部分を引用してみよう。
また、今回は短篇集ということで、さまざまなシチュエーションを使うことができました。そのためミステリの趣向もいろいろなものを試しています。このシリーズとミステリの両方をよくご存じの方であれば、「手作りチョコレート事件」が倒叙ミステリと言っていい作りになっていることに気づかれたかもしれません。
もし本書をきっかけにミステリを広く読んでみたいと思われる向きがありましたら、「心あたりのある方は」がハリイ・ケメルマン「九マイルでは遠すぎる」への、「あきましておめでとう」がジャック・フットレル「十三号独房の問題」への入り口になってくれれば嬉しいです。
いかがだろう。
つまり、ここで米澤穂信は本書「遠まわりする雛」を通じて、本書に関心を持った読者を海外ミステリーの世界へと招待しているのだ。
現代の若い世代は海外の小説や音楽にあまり関心を持っていないと言われている。
おそらく日本国内の小説や音楽で満足してしまっているのだろう。
もう少し上の世代だと、例えば国内の好きな作家やアーティストが影響を受けている海外の小説や音楽を遡りながら読んだり聴いたりすることが一般的なのではないかと思う。
そんな中、米澤穂信は自らの作品の読者を、特に若年層の読者を海外ミステリーの世界にいざなっているのだ。
ここにも一人、日本国内の読者が減少し、また日本国内の読者が関心を持たなくなっている海外ミステリーが置かれている状況について憂いている人がいたぞ。
これを機に、海外ミステリーの世界にも目を向けていただきたいと思う。
お約束で恐縮だが「遠まわりする雛」も米澤穂信のサイン入りだよ。
なお、「十三号独房の問題」は「世界短編傑作集 1」に収録されています。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
最近のコメント